微生物を活用した除染実験

微生物を活用した除染実験


バクテリアリーチングで、品質が低い鉱物を濃縮する方法として、
バクテリアを利用する技術はあったが、田崎和江金沢大名誉教授の
微生物を活用した除染は、元素を変換した可能性があるという。

この前に、タンザニアの首都ドドマ近郊の町バヒで放射線が高い土
壌から細長い糸状菌を発見し、この糸状菌が、セシウムを吸収して
いることを発見した。この糸状菌を今回も持ち込んだとすると、単
に、濃縮したことになるが、福島民報記事では、セシウムをバリウ
ムに変換したという。

もし本当なら、植物で元素変換が出来ることになり、これは大発見
になる。これは、間違いとは思うが、セシウムの濃縮で線量が下が
ることだけで、今後の土壌改良の方法が発見できたことになり、意
味がある。

バイオリーチングの有効性が確認できることになる最初の例として
は、大きな一歩になると思うがどうであろうか?

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バクテリアリーチング  
微生物には変わり者がたくさんいます。硫黄を酸化してエネルギー
源としているものもいます。このような硫黄酸化細菌や鉄酸化細菌
を利用して金属を精錬する方法が実用化されています。金属含量の
低い鉱石では、普通の化学的な精錬法は効率が悪くてコストがあい
ません。そこで、銅などの低品位鉱石を原料として、微生物を利用
する精錬が行われています。化学的な方法は大量のエネルギーと薬
品を使いますが、微生物を使う方法ではエネルギーの使用量が少な
く、薬品も必要ありません。このような方法をバクテリアリーチン
グと言います。リーチングとは精錬という意味です。 

バクテリアリーチングでは、鉱石に含まれる硫黄がバクテリアによ
って酸化されて硫酸ができ、この硫酸によって金属が溶かし出され
るのです。このように微生物のなかには無機物を酸化・還元するも
のがいます。この作用を利用して有害金属を無毒化することができ
ます。 
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バクテリアの除染に効果 飯舘の水田、線量が大幅低下
201183福島民報
    
 南相馬市飯舘村で微生物を活用した除染実験に取り組んでいる
田崎和江金沢大名誉教授(67)は2日、放射性物質を取り込む糸
状菌のバクテリアを発見した同村長泥の水田の放射線量が大幅に下
がったと発表した。南相馬市役所を訪問し、桜井勝延市長に報告し
た。

 水田の表面は毎時30マイクロシーベルトの高い放射線量だった
が、7月28日には1桁台に下がっていた。水田では無害のバリウ
ムが確認されており、田崎名誉教授はバクテリア代謝によって放
射性セシウムバリウムに変わったとみている。

 金沢大低レベル放射能実験施設で水田の土1キロ当たり447ミ
リグラムのバリウムを検出した。バリウムは通常、土壌からは検出
されないという。今後の除染実験に使用するため、バクテリアの培
養も行っている。

 同村長泥の放射線量が高い湿地で根を伸ばしたチガヤも確認した。
根にはカビ類が大量に付着、除染効果との関係を調べる予定。
 南相馬市原町区の水田では、バクテリアと、粘土のカオリナイト
、ケイ藻土の粉末を使って稲を栽培、除染効果を確認している。
 報告には、実験に協力している同市の庄司建設工業の庄司岳洋副
社長、庄建技術の佐藤直営業部長、高橋正則技師長が同席した。
 成果は学会誌「地球科学」に発表する。
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◇放射性物質吸い取る細菌 タンザニアで発見 
  
田崎和江金大名誉教授は26日までに、タンザニアの首都ドドマ近
郊で、ウランなどの放射性物質の濃度が高い土壌中に、同物質を吸
着する細菌が生息していることを発見した。 
福島第1原発事故後、放射性物質で汚染された土壌の処理が大きな
課題となる中、「微生物が放射性物質を固定して拡散を防ぐ『ミク
ロ石棺』として役立つ可能性がある」としており、今月中に福島県
で土壌調査を実施する。 
  
2009(平成21)年3月に金大を退官した田崎名誉教授は、昨
年11月にタンザニアドドマ大に赴任し、今年4月まで地質学担
当として教べんを執った。 
講義の傍ら、世界的なウランの大鉱床があるドドマ近郊約50キロ
の町バヒで、これまでまとまった研究がなされてこなかった土壌中
の放射性物質濃度などの調査に乗り出した。 

手始めにタンザニア全土の約100地点で計測し、バヒと周辺で放
射性物質濃度が顕著に高いことを確かめた田崎名誉教授は、バヒの
水田土壌を採取して調査した。 

電子顕微鏡による観察では、体長数百マイクロメートル(マイクロ
メートルはミリの1千分の1)の細長い糸状菌の生息が確認された。
菌体の周りには粘土鉱物の塊が多く付着しており、この粘土は周り
の土壌に比べて極めて高濃度のウランやトリウムなどの放射性物質
を含んでいた。 

福島第1原発事故の後、現地周辺では、放射性セシウムなどが高濃
度で検出された土壌の除去、保管の方法について議論されている。
田崎名誉教授は、土壌中の微生物の生息状況を調べるため、今月中
に福島県飯舘村などへ入って調査を始める。 

田崎名誉教授は1997(平成9)年のナホトカ号重油流出事故後
、石川県沖における調査で石油分解菌の海水浄化作用を確認した。
08年には北國新聞社舳倉島・七ツ島自然環境調査団副団長とし
て、輪島市沖の七ツ島・大島で、大気汚染物質を取り込む微生物被
膜を発見している。 

福島での調査に向け、田崎名誉教授は「自然の中にはもともと大き
な環境修復能力が備わっている。微生物の力を生かした汚染土壌処
理の可能性を探りたい」と意気込んでいる。 

 

 

WIKIPEDIAより

研究の沿革[編集]
元素転換に類似する概念は原子に関する知識が確立されていなかった中世の錬金術の時代に遡られる。
1600年頃にフランドルの化学者J・P・ヘルモントは、水だけを与えて生育させた樹木の重さが数年後には大きく変化していたことを見出している。
1822年にイギリスのウイリアムプラウト(en:William Prout)は、鶏の卵から産まれたヒヨコに含まれる石灰分が卵の4倍も増加していることを報告している。また同じ時期にフランスの化学者L・N・ヴォークランは、鶏の卵の殻に含まれる石灰分が餌として与えたオート麦の石灰分をはるかに超える量であったことを確認している。
1849年、ドイツのフォーゲルはクレソンの種子を発芽させる実験を行ったが、その実生には種子よりも多くの硫黄分が検出されたことを記している。
1856年から1873年にかけてイギリスの農学者のローズ(en:John Bennet Lawes)とギルバート(en:Joseph Henry Gilbert)は、植物が土壌に含まれている量より多くのマグネシウムを吸収していることを示すいくつかの実験を行っている。
1875年以降、ドイツのフォン・ヘルツィーレ(de:Albrecht von Herzeele)はローズとギルバートの実験を追試し、また独自の実験により硫酸塩を含んだ水で栽培した植物にはリンが増加していることを見出している。
20世紀に入るとオーストリアの神秘思想家R・シュタイナーがバイオダイナミック農法を提唱し、その農業講座の中で一つの元素から別の元素に転換する現象が生じうることに言及している。 この思想は後継者E・プァイファーによって受け継がれ、彼はその著書「大地の生産性」の中で石灰分の乏しい芝生に生育したデイジーが多量のカルシウムを含んでいるといった実例を記している。

 

ケルブランらの「研究」
20世紀初頭以降、原子核の構造に関する研究も進展していたが、それにもかかわらず元素転換説を主張する学者は後を絶たなかった。
1925年、パリ大学理学部のP・フロンドラーは海底の岩石に着生している藻類がヨウ素を作り出していると主張した。 同様の研究をしていたフランスのH・スピンドラーはフォン・ヘルツィーレの研究に着目し、パリ理工科学校の化学者P・バランジェにその確証を促した。
バランジェ教授はソラマメの発芽実験を行い、カルシウムを含んだ水で栽培した種子が成長すると、カリウムが10%増加することを実験的に確認している。これはフランスの科学誌 "Science & Vie"に「原子物理学を覆すフランス人科学者」という記事として紹介された。そして1960年、後に「錬金術の熱心な信奉者」と呼ばれたルイ・ケルヴランが登場する。
ケルブランによる生物学的元素転換説は、現在でも科学的素養を持たない信奉者によってのみ根強く支持され引用されているが、科学的根拠が皆無である。

 

元素転換説の主張
ケルヴランが生物学的元素転換に関する論考を初めて公表したのは1960年7月の『レヴュー・ゼネラル・ド・シアンセ』の「異常な代謝収支と生物学 的元素転換」という論文である。この中で彼は、生体の内部では特殊な酵素作用によって核反応に相当する現象、すなわち元素転換が生じている可能性を指摘し た。
その後彼は1962年の『生体による元素転換』を初めとする著作を次々と公表し、当時の学会に大きな波紋を巻き起こした。さらにはラットやロブスターを使用した実験を行い、その成果をフランス農学アカデミー(fr:Académie d'Agriculture)に報告している。
ケルヴランの実験は「ノン・ゼロ・バランス」という代謝収支の変動を示す方法をとるものだった。すなわち実験処理によってある元素が減少し、別の元素が増加したことを定量的に示すことによって、見かけ上アンバランスなその変動を元素転換反応の結果として捉えるものである。
酵素の働きの詳しい仕組みも未解明な時代に、「元素転換」そのものの仕組みが示されないまま主張されたケルヴランの実験は科学的に意味を持たないものだったため、厳しい批判を浴びた。